12月20日 濱本秀貴の独り言

2024年12月20日

 

 

 

 

 

 皆さんこんばんはsmiley

 

 

GARAGE EVE.RYN transporter 『EVERYN MAN』こと濱本秀貴です!

 

 

今年も残すところ10日余りとなりました。

 

 

皆様にとって2024年はどんな年でしたでしょうか。

 

 

私は2月からガレージエブリンに入社し本当に幸せな充実した1年になりました195

 

 

全国いろんな土地へtransporterさせて頂いたり、

 

 

営業としてお車を販売させて頂いたり、

 

 

多くのお客様との素敵な出会いに心から感謝しております。

 

 

 

さて、今回は5回目の独り言になります。

 

 

前回の独り言でも少し触れておりますしEVERYN MANのInstagramを見てくださっている方はご存知かと思いますが、僕はガレージエブリンで働かせてもらう前から『ZERO EMISSION』というアーティスト名でライブ活動をしておりました。
 
 
 
 

1曲だけではありますがオリジナル曲『ありがとう』をデジタルリリースしております。

 

 

191  各音楽配信サイトのダウンロード先はこちら  191

 

 

 

というところで今回のテーマは

 

 

 

なぜ僕は『ZERO EMISSION』になったのか。

 

 

 

少し長くなりますが若かりし頃から現在に至るまでのヴォーカリストとしての歴史を振り返ってみたいと思います198

 

 

僕が音楽活動を始めたのは90年代、世の中のバンドブームに乗って友達が結成していたロックバンドの練習にフラッと立ち寄りたまたまヴォーカルの代わりに歌ったところ

 

 

 「めっちゃ上手いやん242!!」となり 

 

 

気がつけばヴォーカルとして迎え入れられていたのでした。

 

 

 

 

 

 

 


 

時のバンド名は『ZERO』

 

(正しくは  と表記してました366 クセ強めですcheeky 若かったですね 笑)

 

 

BOØWYや布袋寅泰のコピーから始まり、オリジナル曲でアルバムも制作していました。

 

 

その頃はCDではなくカセットテープを何本もダビングして曲名も自分達の手書き、ライブ会場で手売りです。

 

(とはいえ高飛車な僕は自分では売りません 200 若いって恐いです 笑) 

 

 

 

 

 

 

因みにこれは当時のアルバムのテープで妻の私物です!

 

 

車で聞く用、自宅で聞く用、保管用と3本買ってた様ですcheeky

 

 

どんだけーーーーー242

 

 

 

そんなワガママな僕でしたがメンバーやファンに支えられてバンド活動にどんどんとのめり込み、デビュー前のシャ乱Qと大阪城で対バンをやったり、ライブをやると300人程度動員出来るようになり地元ではそこそこ知られていたと思います017

 

 

このまま続けていればスカウトが来て勝手にプロになれると甘い考えでいましたが、現実は厳しくいつの間にか仲間も少しずつ抜けて1997年の解散ライブを期に僕のヴォーカリストとしての夢は一旦幕を下ろすこととなりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

時が流れ、2010年。

 

 

何気なく目に留まった『素人名人会出演者募集!』の広告。

 

 

関西の方ならご存知かと思いますが素人名人会というのは1960年から2002年まで毎日放送で放送された一般参加型の公開放送による演芸番組で、スターへの登竜門とも言われておりました。

 

 『素人名人会』の詳細はこちら

 

テレビ番組は終了していましたが新歌舞伎座の柿落とし公演として『素人名人会 新歌舞伎座バージョン』が開催されるというのでチャレンジしたところ、予選通過し無事本選に進むことが出来ました。

 

 

この時の新歌舞伎座は柿落とし公演ということもあり1,500人のお客様で満員御礼206

 

 

そのお客様の前で尾崎紀世彦さんの『また逢う日まで』を歌い、

 

 

見事『名人賞』を頂きました!!

 

 

歌い終わった時の高揚感は今でも覚えています!

 

 

司会の西川きよしさんや審査員の神野美伽さんが絶賛してくださり、お客様からも盛大な拍手を頂いたことで僕はこのステージから再び歌うことを選択したのでした。

 

 

そこからは手当たり次第に全国のカラオケ大会に出場し賞を総ナメ、、、、と行きたいところでしたが、

 

 

最初の頃は自分自身の実力と自信にギャップがあり、それに気づかない僕はなかなか成果が出せずモヤモヤ、イライラする日々が続きました。

 

 

思う様な結果が残せない間も有り難いことにずっと青木社長は僕を応援し続けてくれていました。

 

 

 

悔しさを糧に練習に練習を重ね、徐々にカラオケ世界大会(KWC)の大阪代表に選ばれたり、優勝や賞を頂くことも増えて来ました。

 

 

 

 

(受賞時のいろんな画像がもっとあるのですがこの頃人生最高に太っている為割愛させて頂きます231)

 

 

 

試行錯誤しながらチャレンジを続ける中、2019年某有名プロデューサーによるオーディションに受かり楽曲提供して頂けることになりました。

 

 

楽曲を作って頂くにあたり、どんなテーマが良いか、どんな曲調が良いのか、入念な打ち合わせの結果、

 

 

『ありがとう』が完成。

 

 

青木社長や妻との出会いによっていい加減だった僕の人生は大きく変わりました。

 

 

そんな僕の人生を変えてくれた全ての出逢いに感謝してこれからも歌い続けて行きます!

 

 

そんな熱い思いを歌にして頂きました。

 

 

人生チャレンジし続けている方には刺さると思いますので良かったら聴いてください!!

 

 

 

デジタル配信するにあたりアーティスト名を決めることになるのですが、

 

 

若かりし頃のバンド名『ZERO』を入れたくて色々考えた結果、

 

 

『ZERO EMISSION』=『環境を汚染する廃棄物をゼロにする』

 

 

にたどり着きました。

 

 

昔は尖っていた自分もいろんな出逢いによって成長し、周りに害を与えることも無くなったので

 

 

『ZERO』から『ZERO EMISSION』へ。

 

 

生まれ変わった気持ちで新たなスタートを切ることが出来ました。

 

 

青木社長がいなければ『ZERO EMISSION』も『ありがとう』も存在しないのでレコーディングが終わってすぐに聞いてもらったのですがすごく気に入ってくださり

 

 

「せっかくオリジナル曲が出来たんだからMV作った方が絶対良い!

 

完成のお祝いにMV撮影費をプレゼントします!」

 

 

メジャーデビューでもない、デジタル配信なんて今や誰でも簡単に出来る時代。

 

 

なのにお祝いにMVをプレゼント!?

 

 

おかしい、おかしい238

 

 

応援してくれる青木社長に少しでも喜んでもらおうといろんなチャレンジし続けているのですが、いつもそれ以上に僕に喜びを返してくれるので、恩返しできる日が来るのか本当に不安です…。

 

 

漢が漢に惚れてここまで来た様な気がします。

 

 

完成したMVはガレージエブリンのショールームでもずっと流してくれて本当に感謝ですcrying

 

 

『ありがとう』のMVはこちら

 

 

3月の中旬に神戸で撮影しましたがその日はかなりの極寒で雪混じりの雨が降ったり、また急な晴れ間で綺麗な絵が撮れたり、自分の愛車と共に貴重な経験をさせて頂きました。

 

メイキング映像はこちら

 

因みにメイキング映像の撮影者は妻です 笑

 

 

 

僕の音楽人生いかがですか?

 

 

馬鹿げてると思う方もいらっしゃるでしょう。

 

 

でも夢はこれからも追い続けます!

 

 

追い続ければ夢は必ず叶います!と言える日まで。

 

 

今となっては車関係の仕事に就きながら、一方で『ZERO EMISSION』として歌い続けている。

 

 

不思議なくらい本当に自分は車に縁が深いと思います。

 

 

それもこれも青木社長の造り出す唯一無二のコンプリートカーに出逢えたからこそですが。

 

 

長くなってしまったのでこの辺で、、、続きは次回の独り言でvol.2をお届けしたいと思います!

 

 

では2025年も車と共に全力で走り続けます!!!

 

ありがとうございました!!!

 

 

by     ガレージエブリン 大阪店  濱本 秀貴

 

 

 

 

 

 

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